『死』はいつもそばにおすすめ度
★★★★☆
「死を想え」という意味のタイトルのこの本。
出逢ったのは、1995年のことでした。
当時、Mr.Childrenが『花 −Memento-Mori−』というシングルを出していて、
このフレーズが気になって手に取ったものでした。
中身は、ありきたりの風景写真。
でも、1ページ毎に一言ずつコメントが載っています。
その写真の舞台裏に対するコメントフォローではなく、
散文的な短い詩のようなコメント。
どれも直接には、『死』に関わる写真やコメントではないのですが、
この本のタイトルを念頭にしながら見ると、
どれも意味深いものに見えてきます。
人々が普段何気なく見ている風景や、それとなくこなしている日々の暮らし。
その裏には、常に『死』が存在するということなのでしょうか。
それは、突発的な事故や犯罪によって、命を奪われるとかいうものではなくて、
世の中の全てが、『死』という逃れられないサークルの中にあるということを暗示しているのだと
思います。
だからこそ、常に今の『生』を一所懸命に生きなきゃならないのだということに気付かせてくれます。
そう、『死』とは『生』のアンチテーゼなのです。
普段、何の気もなく暮らしていると、『生』が見えてこなくなり、自分の『生』も他人の『生』も、
価値あるものに見えなくなってくる。
でも、『死』がいつもそばにいるんだということに気付けば、日々の『生』にも価値を見出そうと
するのではないでしょうか。
「死を想え」
それは、怖いことではなく、生きるうえで必要なことなんだと、この本が教えてくれました。
刊行20周年おすすめ度
★★★★★
「刊行20周年 20万部突破!!」の帯に驚きと懐かしさを覚えて買いました。初版本を人に上げてしまったので、もったいないことをしたなあ。
何年経っても、この写真集を見たときの衝撃は忘れられません。
「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」から始まるコピーも、頭をハンマーで叩かれるようなものばかりで、写真とマッチしているというより、写真と格闘しているような感じです。
「創刊100周年100万部突破!!」というような日も訪れるんでしょうか。勿論、そのときには、藤原新也さんも、私も生きていないけれど。
これからも年を重ねる度に、また見返して、読み返して、「生」と「死」の問題を突きつけられ続けるのだと思います。
これはおすすめ度
★★★★☆
写真というもののすごさというか、それが表す刹那的なインパクトのすごさというものを、まざまざと見せ付けてくれる。あまりに宗教的すぎていやになっちゃうところもあるけど。写真については見てくれ、としか言いようがないわけであるが、各写真についたコピーについて考えてみたい。
てゆうか、なんでコピーが必要なんだろう。写真を表すのは写真だけで十分のはず。だいたい効果的なコピーは三分の一くらい、だったか。でもこれはべつに写真集じゃなくて、写真とコピーでひとつの作品なんだ、と途中で気づいた。普通写真がメインだと思うけれど、これは実はそうじゃない。
これは「生と死」についての作品であることは間違いない。たとえば、ある美しく、壮大な写真がある。普通、そこで連想されるものは「生」であるのに、「死」を思うコピーが写真に書かれることで、その「生」に内包された「死」が浮かびあがってくるみたいじゃないか。あるいは、その逆もある。すごい。生死は表裏一体、なんて。
もちろん、全部が全部そういうことに成功しているわけじゃない。それでもp22、p62など白眉じゃないだろうか。
良い出来でした
おすすめ度 ★★★★★
言うまでもなく最高峰
。非常に洗練された魅力的なものになっていると思います。
すばらしいものだと感じましたので☆5評価としました。
概要
書名の『メメント・モリ』とは、「死を想え」という意味で、ヨーロッパ中世末期にさかんに使われたラテン語の宗教用語だ。この本には、著者の短いコメントが付けられた74枚のオールカラー写真が収められ、生の光景に潜む無限の死の様相が極彩色で提示されている。たとえば、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とのコメントがつけられた写真には、荒野に打ち捨てられたヒトの死体を野犬が貪るように食らい、それをカラスが遠巻きにしている光景が写し出されている。また、大河のほとりで遺体の野焼きをしている光景には、「ニンゲンの体の大部分を占める水は、水蒸気となって空に立ち昇る。それは、雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。何パーセントかの脂肪は土にしたたり、焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて、マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーをそだてるかもしれない」と、少し長めのコメントが付けられている。
もちろん、著者の提示している生と死がヒトに限定されるものではなく、他の生物や山川草木を含む、いわば森羅万象の生死を意味していることは明らかだ。この本に収められたすべての光景とコメントは、私たちの今生の「生」は、生と死が交錯する危ういバランス上で辛うじて生の側に立っているに過ぎないのだ、ということを示唆しているのかもしれない。
著者の藤原新也は1944年生まれ。アジア各地を400日漂白した記録『全東洋街道』で1981年度の毎日文化賞を受賞した。(水戸義継)