この映画のハイライトは、難聴のベートーヴェンの耳となって、アンナが彼の指揮をサポートする、12分にも及ぶ「第九」の初演奏シーンで、ふたりの気持ちが通じ合い、息もぴったりで、迫力ある感動的な場面でした。
その芸術人生を象徴する「第9」と「大フーガ」の真実おすすめ度
★★★★★
この作品のヒロインである、
ダイアン・クルーガー演じる若く美しい女性写譜師アンナ・ホルツは
残念ながら架空の人物ではありますが、
たとえフィクションの映画作品の中であるとしても、
絶望的な孤独と苦しい病の中で人類への偉大な遺産を作り続けていた、
最晩年のベートーヴェンの側に、
こんな理想的な理解者が短い間でも寄り添っていてくれるなら、
ベートーヴェン本人はもちろんのこと、
彼の死後約180年後も世界中に存在する、
彼を敬愛する者たちの心も癒され慰められるというものです。
この映画には2つのテーマがあります。
第9が象徴する「聴衆の熱狂的な喝采と支持」、
大フーガが象徴する「掌を返すような無理解と拒否」。
ベートーヴェンの芸術人生はまさにこの2つの間で翻弄され、
引き裂かれていたわけですが、
ストラヴィンスキーが「絶対に現代的、永久に現代的な楽曲」と評した大フーガを聴くたびに、この曲について「いつか、誰かが理解してくれるだろう」と言ったと伝えられるベートーヴェンの言葉が思い出され、感慨深いものがあります。
DVDに添付されているカラー印刷のライナーノーツ(堀内修氏の筆による)は、
DVDのための書き下ろしオリジナルで、量・質ともに良い文章です。
監督のアニエスカ・ホランドはベートーヴェンの音楽、
特に後期弦楽四重奏曲の熱烈な愛好者であることを来日の際にも話していましたが、
彼女のベートーヴェンへの『敬愛』が隅々にまで感じられる、素晴らしい作品だと思います。
最後に、名優エド・ハリスへ。
あなたが素晴らしい俳優で芸術家であることは、
過去の数々の出演・監督作で知っているつもりでしたが、
・・・この役を演じてくれてありがとう!
切れ味悪しの凡作おすすめ度
★★★☆☆
ここでの評価が高かったのでDVDで購入。しかし結論として、大変切れ味が悪く詰めが甘い。好意的な言い方をすれば、104分で充分に描き出せる内容ではなかったのではないか。悪く言えば、製作者の勉強不足。
一般のリスナーから、アカデミックにベートーヴェンを研究する学者やマニアの領域に少しでも入っていると、この内容には満足できないだろう。この当時のベートーヴェンはもっと耳が聞こえなかったはずだなどという外面的なこともあるが、ソモソモ神との繋がりを確信するばかりに考えられないほどエキセントリックだった最晩年の彼は、もっともっと強烈な個性のカタマリだったはずだ。演ずるエド・ハリスの演技がマズイというつもりはないが、ベートーヴェン本人は、「一般人とは明らかに違った人種(あるいは、ケンタウロスのような神性を持った怪物)だったはず」で、良い意味で一般人のハリスにそれを望むのは、ソモソモ無理な相談なのかも知れない。このハリスのベートーヴェンが、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き、あの「日記」を書いた人物だとは、ナカナカ思えない。指揮姿も、うーん、玉木くん演じる千秋真一よりはいいが、ベートーヴェン本人がこうであったろうとは、とても思えない。しかしここは、玉木君の指導役に梅田俊明氏を、ハリスの指導役にホグウッドを選んだプロデューサの眼力不足を指摘すべきだろう。このあたりからして、製作者側のクラシック界への通じ方の甘さが散見できる。
そして、アンナが彼に気に入られるプロセス(それは女性でありながら、一般の男性にも見えない芸術の神性を持っていたことから、理屈では納得できる)も、描写がまだまだ甘い。私は、こんなに僅かなプロセスでベートーヴェンがアンナにあれほどまでに簡単に心を許し、深く信頼し、初演時に(ストーリーのフィクション性は敢えて問題にしないとしても)あれほどまでの表情をアンナに見せる、なんてことが生理的にドーシテモ納得ゆかなかった。最初から150分の作品にするつもりでこの部分を描かないと、「果たしてベートーヴェンとアンナはいったいどの程度つながっていたのか??」といういちばん重要なことが分からない。意味ありげにアンナに彼の身体を拭かせても、アンマリ説得力はなかった。さらに言えば、だから第9の初演時にアンナがあんなに(笑)恍惚の表情を見せても、私にはまったく自然には見えなかったのである(この部分は、確かにクルーガーの演技もイマイチ)。
だったら、ベートーヴェンがああなるまでのプロセスを徹底的に描き込んで、有無を言わせず視聴者を説得し、第9の初演終了で作品も終わらせた方が、よほど良かっただろう。大フーガの初演が失敗だったとかなんだとか、「背景として必要と思われるシチュエーション」を詰め込みすぎて、全体がまったく稀薄になってしまったことも一因。「ベートーヴェンの時代の雰囲気や彼のエピソードを楽しんでもらおう」という意図と、「人間ベートーヴェンを内面から描き尽くそう」という意図は、104分の作品では両立しないだろう。それを無理に実現させようとして、中途半端になってしまったのだ。余談だが、他のレビューアの方も言及されているように、「敬愛なるベートーヴェン」という邦題訳もまったく浅はかの極み。視聴者をバカにしている。
とは言っても、やっぱりベートーヴェン好きが見ると「ああ、彼はこういう時代を生きて、こういう服を着て、こういう道具を使って、こういう日常を送っていたんだな」と深い感慨を受けたのは事実で、本来なら星2つのところ、3つにしておいた。労作であることは認めるし、この作品そのものを否定することはしたくない。ただただ、掘り下げが甘かったことが、ただただ残念なのである。私はいつも良い映画を観ると、少なくとも一日くらいその気分を引きずるが、この映画の気分は残念ながら20分しか続かなかった。
ベートーヴェンを聴き続けた者でなければ選び出せない旋律ばかりおすすめ度
★★★★★
2006年9月13日にトロント国際映画祭で上映された後、2006年10月13日にリリース。ドイツ人のダイアン・クルーガーが演ずるアンナ・ホルツは実在しない人物だが、ベートーヴェンの最後の頃の作曲する様や、生活や、第九の初演や、『大フーガ』の受け入れられ方はこうだったろうな、と感じられるなかなか素晴らしい映画だ。ベートーヴェンの後期・・・つまり作品番号が3桁になるあたりの作品が大好きなだけに普通の気持ちでは観られないようだが。
第九の初演は中間部に出てくる。この初演の様子はフィクションだろうが、それでも人間の声の持つ崇高さと、オーケストラの旋律が混じり合うこの曲の素晴らしさを初演で味わえた幸せな観衆の様子は同じだっただろう。この一曲だけでベートーヴェンは別次元の作曲家だ。エド・ハリスの指揮は、クリストファー・ホグウッドが指導したらしいがベートーヴェンそのものに見えた。
この映画で使われている曲のひとつひとつの旋律がまさに選りすぐりのベートーヴェンで感心した。ベートーヴェンを聴き続けた者でなければ選び出せない旋律ばかり・・・脱帽である。
まさに夢のコラボです。
おすすめ度 ★★★★★
背筋にゾゾゾという感覚が走りました
。値段の割には上出来。
感動やドキドキ感を手元に置いて、私同様に何時でも手に取って思い返して頂きたいと願います。
概要
情熱的で力強い人間ドラマ。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの人生最後の数カ月に一部史実に沿った『敬愛なるベートーヴェン』は、この巨匠が取り憑かれた男であり、最大に革新的であるのに本人は聴くこともでない生涯の集大成といえる作品を作曲していたことが描かれている。ベートーヴェンはほとんど耳が聞こえず、金遣いの荒い甥との関係に幻滅し、若い女性作曲家のアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)に心引かれる。アンナは曲を楽譜にする写譜師としてベートーヴェンの元で働くことになる。女子修道院に客人として滞在し、ぼんやりとした技師と婚約しているアンナは、ベートーヴェンの感情の起伏の激しい天才ぶりに引きつけられる。半分の時間で、ベートーヴェンはアンナに引かれ、彼女の魂をまっすぐに見ているようだ。残りの半分の時間では、アンナのことを自信がないだの、お世辞は言うなだのどなりつけている。決して弱虫ではないアンナも負けじと言い返す。アンナが反抗すればするほど、ベートーヴェンは彼女の中に自分と同類である魂を見出していき、自分の脆さと芸術を作り出すことの重荷を打ち明けられる相手として認めていく。エド・ハリスのベートーヴェンは苦痛に苛まれているが、打ち負かされてはいない。心の奥底では自分の責任を充分に理解していて、ただ崩れていくことはできない男に見える(“神はたいていの男の耳元では囁く”ベートーヴェンは言う。“私の耳元では叫ぶんだ”)アニエスカ・ホランド監督(『オリヴィエ オリヴィエ』)は堂々として、優しさと暴力が交互に現れる人間ドラマを撮った。いくつかのスリリングな瞬間があり、そこには輝かしい交響楽第九番の初演に耳を傾ける観客たちの感動の場面も含まれている。(Tom Keogh, Amazon.com)